クリスマスカードでよく見かけるキリストの誕生のシーンは、暖かい光に包まれながらきれいな干し草の上に気持ちよく眠る赤子の絵でしょう。
しかし実際には、イエスがこの世に産まれた場所は、普通の子供が生まれるようなところですらなかったのです
ルカによる福音書2:4-7を読むことで、イエスが生まれた時の状況を知ることができます。マリヤとヨセフは、人が生まれるにふさわしい場所を見つけられなかったため、動物の飼小屋に入り、動物が餌を食べる飼い葉おけを急いで掃除して子供を産みました。イエスは、このように汚く、低俗な飼い葉おけの中で生まれることを選ばれたのです。
救世主の誕生としては理解しがたいものと思います。神ならば、王様の住む宮殿など、権力の中心と言える場所で生まれるものと思われるでしょう。
神が私たちの注意を惹きたいのなら、大層で衝撃的な何かをするだろうと私たちは思いがちですが、イエスがどうしてこのような卑しい状況に生まれたのかを理解しない限りは、神の心を理解することはできません。
イザヤ書59:8-16には、人々の惨状、それに対する神の傷心がつづられています。
人類と神の仲をとるものがいないのを見て、神はどのような行動に出ましたか?
神の人々に対する想いはどのように表されているでしょうか?
人類は罪を犯す加害者であると同時に、その罪の被害者でもあります。このような悪循環のさなかに、
神はその裾をまくりあげて入って行かれました。
人類の罪の深みほどに、
神は遥か遠くから私たちに会うために私たちのところまで降りて来られたのです。
もっともよく知られている聖書箇所でもあるヨハネの福音書3:16は、以下のように語っています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
神は肉をまとわれた彼自身を、神の子イエスを、私たちを罪の連鎖から救い出すためにお与えになったのです。
「神の愛」は単なる心温まる素敵な考えではありません。神の愛は、私たちのために人として降り立ったのです。
時を超える全能の神が時と空間の世界に入られました。この受肉と呼ばれる奇跡でも十分に理解しがたいと思います。
しかし誰も予想していなかったことでしょう、イエスが、神が、この世に来たのは、最も卑下される死を成し遂げるためにきました。この真実は時代を超え今でも人々を驚かせ続けてます。
私たちは悪事や罪を目の当たりにしたとき、それには相応の対価があるべきだと言います。正義が下されるべきだと感じるでしょう。しかしそこで問題なのは、
私たちにも、なかったことにはできない過ちがあるのです。罪悪感と羞恥心は私たちがどれだけ消そうともがいても、心にのしかかり続けます。
周りの人、お互いとの関係、ついには私たちの魂さえも汚し、決して消えない痕を残します。思いやりのない言葉を吐いては瞬く間に次の考えに移り、何もなかったかのように忘れてしまっても、
そしてそのような言葉を受け止めたひとは、外見の違いはないにしても、心のうちでは傷があり、何かが永久に変わってしまった。
大人である私たちも、同じように自分の行いが取り消されたかのように、あるいは何の影響も無かったかのように振る舞うことはありませんか? それが真実ではないことは誰もが分かっていても、です。
残念ながら、起こした影響が小さかろうが大きかろうが、罪が行われた瞬間、私たちは正に歴史にその汚点を刻み、宇宙の善意の基盤を汚したのです。
誰に刃向かっているかと言えば、神の権威そのものです。それは神の聖域を攻撃し、創造を司った神の秩序に泥を塗る行為です。それは神の心をえぐり、私たちの人生には裁きをもたらします。罪は神の意志への反逆、彼の望んだ善の世界に浴びせる穢れなのです。
詩篇 38:3-4
ローマの使徒への手紙6章23節は「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」、と言っています。聖書によれば、罪の対価は死です。これは単なる肉体的な死ではなく、精神的にも死ぬこと・神からの永遠の隔絶を意味します。
私たちは、一人残らず罪を犯しました。私たちは、そのあまりに大きすぎる代償に耐えることが出来ません。ジレンマここにあります。神に罪を帳消しにし、正義を無視するのか。それとも神に正義を保ってもらい、罪の罰を、私たち自身で払うのか。この二つの選択肢しか残されていないのです。
神はどのような結論をに至るのでしょうか?それは、彼自身が全ての罪の代償を支払うという衝撃的なものでした。
それゆえに、十字架は正義の証であり、「罪の代償は死である」とする聖書の主張を肯定します。同時に、十字架は神の情けの強力な現れであり、罪人を許す彼の愛の壮大さを表しているのです。
私たちに代償なしで許しが与えられたからと言って、それが無償で行われるわけではありません。
結婚して10年たったある日、今まで自分の夫がなんども浮気をしてきたという事実を知ってしまった妻の立場を想像してみてください。
彼女はどうすると思いますか?彼を怒りとともに捨て去さり、痛みに一人悶える彼を望むことでしょうか?そのような結末は彼にふさわしいかもしれません。
彼女は子供のため、もしくはあまりに哀れな夫に感じる情けのためにその不可能とも思えることを試みます。
二重苦です。そもそも彼女は被害者です。結婚式でした誓いも、何年にもわたる労苦も、真剣な愛情も犠牲も、実の夫に無下にされたのです。
その痛みの上に、許しを与えるという労苦、その代償まで払わなくてはなりません。
真の許しはいつでも、
もし許しの代償がどれほど重みを持つか理解したのなら、それを誰かに要求することなどなんて恐れ多いことでしょうか。ましてやそれが与えられることなど、どんな歓喜も感謝の言葉も、感激を表すのに足りやしません。
すり減らされて荒んだ倫理観でもってさえ時たま自身の罪を恥ずかしく思い嫌悪を感じるなら、
しかし神は「私が受け止めよう」と言います。聖なる神は、「私が代償を払う。あらゆる毒を飲み込み、人類の罪の毒溜めを私がすべて被ろう。」と言うのです。
これがイエスのしたことなのです。彼が十字架に釘を打たれ、世界の罪のすべてを背負い、私たちの罪を許すための生贄の羊となって死んで、彼がしたことなのです。
罪とは神の拒絶です。神の神聖さに汚れをもって敵対し、然るべき神の権威に反逆することなのです。罪は何もないところに向かって行われることはありませんし、
自分たちの内輪のことでもありません。それは自分の過去の失敗に落ち込み、汚点なき人生は歩めなかったなどという後悔をすることでもありません。自分が望んでいたほど高尚な人間にではなかったという発見ゆえに残念がることでもないのです。
そして十字架は、神のどうしようもない反逆者を許したいがための救済のための行動、彼のことを捨てた人々への情けなのです。
私たちが手を伸ばし、神の下さる救いを受け入れらるかどうかは、私たちがどれほどこの事実を真摯に受け止められるかにかかっているのです。
親になると、違った恐怖を感じることがあります。あなたが親になる前は、もちろん世界があなたを傷つけることもあるでしょう。しかしもしあなたが子供を持ったなら、世界をより恐ろしいと感じるでしょう。
飲酒運転のドライバーが若い女性の車に衝突し、悲劇的に彼女を殺したシナリオを考えてみましょう。
泣き叫ぶ彼女の家族のもとに飲酒運転のドライバーがやってきて、なぜそんなにやったら深く傷ついているのか理解できないそぶりをしているのを想像してみてください。
私たちの罪が神の心を撃ち砕くというのは、十字架からの重要なメッセージの一つです。彼の全人類に注がれる完全な愛によって、人の罪は彼にそれほどの痛みをもたらしています。
神はすべての悪行に極めて個人的に関わっているのです。「私の倫理観が壊れてるからって神になんの関係があるんだ!」というのは、十字架の意味をはき違えています。
さらに、十字架は私たちの罪の重さを示しています。神学者, ジョン ストット氏はこう説明しています:
"まずは、すなわち、私たちの罪がよほど悲惨である事。十字架ほど、私たちの罪の重さを示すものはない。[...] 正義の神が私たちの不正義を正しく許す事等出来ない。キリストとなり自身が背負う以外に許しは無いのだ。
それを理解し、私たちの独善的で自己満足した態度を取り除き、はじめてキリストを救い主として必要としていると理解し、信じる事ができる。[...]
[...] 自分が神を十字架に掛けるのに一役買っていると知っている者のみが、神の恵みに自分の取り分がある事を知る。"
十字架からは私たちの罪深さだけではなく、神の愛の深さも理解することができます。
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
イエスは彼自身の命を捧げることで、もっとも偉大な愛を示しました。彼は彼を憎み、さらには葬り去ろうとした世界のために死んだのです。彼の死は、彼を十字架にかけた人々のために行われたものでした。
神に向かって罪を犯したという認識はありますか?
十字架はどのようにして罪の重さを強調していますか?
あなたの罪に対しイエスの十字架はどのようなメッセージを持っているでしょうか?