
翻訳
このとき、イエスと呼ばれる賢人がおり、彼はその善き行いと美徳により知られるものであった。そして、ユダヤ中あるいは他国から、多くの人が彼の元に集まり、また弟子となった。ピラトは彼を十字架の刑によって処刑したが、弟子となった者たちは、弟子としての行いを辞めなかった。彼らは,そのものが十字架にかけられた3日後に彼らの元に現れ、かつ生きていたというのです。これが本当ならば、おそらく、その者は預言者達によって幾度となく預言された救世主である。
[Flavius Josephus, born AD 37, Antiquities xviii. 33]

翻訳
「しかし、元首の慈悲深い援助も惜しみない施与も、神々に捧げた贖罪の儀式も、不名誉な噂を枯らせることができなかった。民衆は「ネロが大火を命じた」と信じて疑わなかった。そこでネロは、この風評をもみ消そうとして、身代わりの被告をこしらえ、これに大変手の込んだ罰を加える。それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「キリスト教徒」と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の創始者であるクリストゥスなる者は、ティベリウスの治世下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。その当座は、この有害極まりない迷信も、一時鎮まっていたのだが、最近になって再び、この禍悪の発生地ユダヤにおいてのみならず、世界中からおぞましい破廉恥なものがことごとく流れ込んでもてはやされるこの都においてすら、猩蕨をきわめていたのである。そこでまず、信仰を告白していた者が審問され、ついでその者らの情報に基づき、実におびただしい数が、放火の罪というよりむしろ人類敵視の罪で有罪とされた。」
[Cornelius Tacitus, born AD 52-54, Annals XV. 44]